漏電に関してその実体と対処法を調べたいと思いネットで検索した。すると全てとは言わないが、大部分は電気洗濯機の事例を取り上げている。これ等を見る限り、まるで電気洗濯機以外のところでは漏電は発生しないかのように受け取れる。大手の電機メーカー、電気設備の管理を業務としている組織においてもこの枠からはみ出していない。あまりにも実態に合っていないし、不自然も度が過ぎる。なぜだろうかを考えて見た。
話は昭和20年代まで遡る
当時電気品といえば、工場では電動機が主体、家庭では白熱電球以外ではラジオ、電気アイロン、電気コンロ、扇風機程度でしかなかった。20年代も後半に入ると、テレビが入り始めた程度である。いずれも、漏電や感電とは縁がなかった。
ここに主婦の味方として家庭に電気洗濯機が割り込んできた。これはこれまでの家庭電気品と違い、水を扱うことである。そして(結果論であるが)始末が悪いことに、水を扱うということで浴室に設置する事例が少なくなかった。
当時の電動機といえばコイルはエナメル線で絶縁物としては紙である。(現在の電動機と比べたらひどい代物と言える) これが湿度が高く、しかも現実に水のかかる場所に置くのであるから絶縁は悪くなって当然である。さらに悪いことに、当時は安全対策としての接地と言う概念はほとんどなかったし、漏電遮断器などあろうはずがない。一方、人はといえば湿ったタイルに裸足で入っていくのであるから、洗濯機に触れれば感電して当然である。
この感電した事例は相当多数発生したようで、素人だけではなく、電気の取り扱いを業としている技術者を含めて 洗濯機=感電 の概念が一般化してしまった。ここまでは事実として、そして歴史上の1コマとして、謙虚に受け止める必要があるだろう。
ところがである。電動機の構造は進化してコイルや絶縁物は水に強い合成樹脂に置き変わり、さらに置き場所は乾燥した場所に変わり、安全対策としての接地工事も多くの場合に施され、さらに、家庭では漏電遮断器はほぼ100%設置されている。
この改善された状態を考えると、電動機が絶縁不良になる可能性はほぼ無くなり、万が一絶縁不良になったとしても、アースが効いておれば洗濯機の対地電圧は上昇することがなく、触っても感電しないし、絶縁不良の程度が悪くなれば漏電遮断器が働いてくれる。さらに置き場所が乾燥した場所であれば、人は電気的には浮いた状態であり、たとえ洗濯機が対地電圧を持っていたとしても人体に電流が流れる(感電する)ことは有り得ない。
このような現実の状態を考えると現在では洗濯機での感電の事例はほぼ絶無のはずである。洗濯機での感電は完全に昔話と化しているのである。
にもかかわらず感電の事例が洗濯機しか出てこないのは、現在の漏電の実態を全く知らないくせに、自分では昔話を最先端の知識と信じ込んでいる程度の悪い人の主張と言いたい。
さらに言えば、このような昔話しか知らない人に漏電の実態、処方箋を語る資格は無い、と言いたい。なぜこの無様な状態がいつまでも継続するのであろうか。
さらに言いたいのは、ほとんどの場合に漏電とは何者か、感電するということはいかなる状況なのかを全く区別していないのである。大昔の洗濯機の例を持ち出してきて
感電=漏電
と結論づけ、驚いたことに、漏電していたから感電したと結論づけている。無知のさらけ出しも、ここまで来ると呆れかえる他ない。
このレベルの執筆者に、感電しないためにはどうしたらいいのか、についての安全対策としてのアドバイスなどできる筈がない。
露骨に言えば知ったかぶりをしながら、単に脅しているだけではないか、と言いたい。
漏電に関する記事は、理論も対策もそっちのけで素人を電気(いや、洗濯機かな)は怖いものだと脅すために書いているのか、と言いたい。
電気は正しく使わなければならないのに、正しい方向を示唆することなく、昔話を持ち出して脅すのは逆効果でしかないと思うが、如何なものだろうか。
漏電の現実を正しく調査しその実態を発表するする技術者はいないのであろうか。でたらめ記事は早々に排除しなければならないと思うのだが。
現在ではありえない昔話を、もっともらしく、現在でも通用しているかの話として、持ち出さなければならない業界、とはいったい何者か。
昔話を真面目に現状に照らし合わせれば、絶対にありえないことなので、すぐ矛盾かわかるはずなのに、それを確認しようともしない。そんな業界はが大手を振ってまかり通るとは、何をか言わんや。どうしてそんな状態が継続されるのか。設備の管理をしている業界としては一体何をしているのだろうと言いたい。それは誰の責任なのか。
一つ言える事は大御所と呼ばれる人の存在。複雑難解な理論、数式を使った理論解析は高度な仕事であるが、現場は所詮は程度の低い現場の職人にやらせておけば充分で、その実態を知る必要はないと考えているようである。その典型が、漏電の記事を、現在ではありえない昔話を大前提にし、これに空想を交えて、これが現在の最先端の技術、実態てあるかのように書いているのである。
(有力者と称する人の見解でも漏電の原因箇所の調査に当たってメガーを最初に持ち出すのは空想の典型である。絶縁の良否はメガーで当たれば一目瞭然である、が前提であろう。しかしB種接地で漏電が検出されたとして、いかなる手順で不良箇所までたどるかは現実のものを見ないと計画ができない。現実を目の前にすればメガーでどんな結果になるかは想定できるはずであるが、何分にもそこまでは考えていないので、大きな壁は全く想定できない。メガーで何処の何を測るのか、そこに何が出てくるのかを聞きたい。漏電は絶縁不良の結果である、との先入観が絶対最優先で、そこから抜けだせないからその結果として、空想に過ぎないメガーしか出てこない。しかし、大御所には誰も注意はできないし、反論などできるはずがない)
何時になっても漏電や感電は電気洗濯機でしかない。
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